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第一部第二部第三部

第一章「三人の子」

目が覚めると、私の体の上に何かが乗っていた。(佐山)

えらく重かったが、自分を励ましつつなんとか首を持ち上げそれをみた。(目蛾値ちゃん)

と感じたのもつかの間、圧倒的な暴力によって私の首から上は、昨日の昼間に家政婦が掃除したであろう塵一つない絨毯の上を転がり、朝食のためにマイセンが並べられたテーブルの頑強な猫足のそばで止まったかと思うと、先ほどまで体の上に乗っていた長閑な自我が、乾き始めた眼球に映った。(星影龍三郎)

薄れゆく意識のなかで、バタバタと聞き覚えのある足音がする。
きっと家政婦だろう。
「…新しい顔よ!」
遠い昔、あるいは未来に聞いた気がする言葉だ。
自我から解き放たれ、アストラル界に私は旅立つ。
焼き立てのパンの芳香に包まれて…。(佐山)

そのころ、オーロラの下でルビーと同化する努力を続けている静香の心にあったは、第三子懐妊が想像妊娠であったという事実を、中居から旦那に婉曲に伝えてもらう方法ではなく、かつて自分の水着を脱がして喜んでいたアーノルドが、いまやカリフォルニア羞恥事になってしまうことへの当惑だった。(星影龍三郎)

仮にあの中年太りがまかり間違って当選でもしようものなら、奴は羞恥事のクリーンなイメージを守る為にやっきになって過去を清算しようとするに違いない、そうなると反ってスキャンダルは露見し、想像とはいえこのお腹の子の父親まで疑われることになりかねまい、殺そう、アーノルドを、できる、今やあたしはルビーそのものなのだから!(佐山妻)

静香の心は千々に乱れ、小船のように嵐の中をさまよった。彼女の手には、いまや三つの命が握られていた。お腹の子(想像)アーノルド(羞恥事候補)、そして義理の弟の建二である。彼女の全身から冷たい汗が噴き出し、南極の風に凍りついた。
いまや静香は額からルビーの光を放つ、一個の氷像となった。(目蛾値ちゃん)

2年前、氷像から盗んだ緋色の宝玉の名で呼ばれるようになった今日子は、正式に受理された正敏との離婚届の余韻に浸っていた。

ここまで軽いものだっただろうか。
まるで紙そのものの比重しかなかった。

蜜月は瞬く間に過ぎ去り、一緒に暮らしながらも束縛し合わず、互いの精神的な自律を高めるという詭弁に答えを見いだそうとしていた夫との生活に少なからず疲弊していた彼女が、若い時期に奔放な生活を送った者だけが持つ、ある種の蠱惑的な建二の魅力に抗いえたのは、彼と再会してから半年の間だけであった。そして結婚生活に必要な条件の一つである互いへの関心を急速に失いつつあった夫婦が、その法的な契約による拘束を断ち切るのに時間はかからなかった。細かな引っ掻き傷がいくつも付いたガラスが、次第に輝きを失っていくような鈍くくすんだ生活の中、離婚の話はどちらからともなく持ち出され、2年という夫との日常は一瞬にして非日常への帰結を辿った。
(星影龍三郎)

第二章「二人の新聞記者」

あのー?すいません、お客様〜」
今日子の余韻を打ち消したのは役所の職員の声。
「本籍地が市外の人は、戸籍謄本か抄本が無いと、離婚届を受理出来ないんですよ〜」

「え!?」受付の前で立ち尽くす今日子。
・・・そのとき! (etsuken)

「あらあ、今日子さん。」
「よう。」

知り合いの新聞社の文化部の二人だ。
二人は社内結婚したてで、これ見よがしに、腕など組んでいる。
「こんなところで、奇遇ね。」
「そ、そうね…」
どうしよう、この二人。人生相談と営業妨害のスペシャリストと聞いている。相談しようかしら。 (佐山)

「どうされたのですか?」
記者特有のアンテナに何か引っかかるものがあったのか、彼らは役所での用事が済んでもその場を立ち去ることをせず、今日子に話しかけてきた。
「いえ。ちょっと生麦事件の……」
「今日子さんもベンジン?」
「……」
「やだなぁ、本日はプライベートですから、記事にはしませんよ」
「……そうですね。はい」
「うちも生麦のときは、よくベンジンなんですよ。ははは」
そういって文化部の記者二人は並びの悪い歯を見せた。
今日子が目の端に警視庁のマスコットをとらえつつ、何で先端の色が違うのだろうと訝しんでいると、
「どうです、このあと?」
二人が思考に割り込んできた。
翌10月7日付けの朝刊で、今日子が不用意に相談した結果引き起こされた甚大な被害について1面のほとんどを割いているのは、3紙あった。
『記事にはしないと言ったのに……』
そう思ってみたところで、六百万株という損失は取り戻せるはずもなく、今日子はぼんやりと看板を見上げていた。
(星影龍三郎)

第三章「奇妙なファンタ」

それは映画の看板だった。
『ドレッド侍・ジョ−山中』とある。 (佐山)

聞いたことのないタイトルだ。インディーズ映画だろうか。
手持ちの金は二千円程ある。
「映画を観ても、家まで帰れるか…」
特に興味が湧いたという訳ではない。
鬱屈とした気分のまま、家に帰る気が無かっただけだ。 (ノビ)

けだるい記憶をたどる。たしか、最初がカタカナの「ヌ」から始まり、濁音が1つとアルファベットが2つ、そして「痴」の文字がちりばめられた10文字のタイトルだったはず。今日子はジョーの代表作を思い出そうと、文化部の記者から聞かされたピロートークを反芻していた。
そうだ! 日活時代の彼の代表作といえば・・・ (星影龍三郎)

あの親子丼のエピソードが外せないだろう。 (佐山)

ジョー演ずる白痴のピアノの天才(サヴァン症候群)が、教え子の友達親子、マリとえみりをお得意のピアノ宜しく弾きこなすってえ親子どんぶりの話だったわげっへっへ。
・・・今日子の顔つきが変わった。
崩れただらしない表情が一瞬にして獲物を狙う女豹に。
彼女は入場券を買い、中に入っていった。
電車賃が足りなくなったことも忘れて。 (目蛾値ちゃん)

数時間後、終電近い駅前のロータリーで1人呆然と立ちすくむ今日子の姿があった。
映画を観る際ついいつもの癖でポップコーンを購入、そこで残った小銭をすべて使い切り、ハッと我に返ったが時既に遅く、ポップコーンの返品を迫り得意の包丁を振りかざしたが店員に押さえられ、とうとう映画館から放り出されたのであった。
いま彼女の手許には冷めたポップコーンと先の折れた包丁しか無い。
今日子は完全に帰る手だてを失っていた。
「…あのとき、建二にさえ会わなければ私は…」(佐山妻)

「いや、香港に行くのを一ヶ月遅らせていれば私は…」
「弓道部に入らなければ私は…」
「トマトが嫌いでなければ私は…」
「熊を素手で倒せたなら武蔵は…」
「大航海時代、希望を抱いた人々は…」
「…生まれて来なければ、良かった。」
今日子は後悔に沈みながらも、先ほど観た映画の俳優ジョーの昔の相方、キュー北倉が現在どのように口を糊しているのか気になっていた。
ふと気付くと、彼女は立ち上がり、繁華街へと足を向けていた。
つまらなく感じた映画ではあったが、彼女の心の奧、潜在意識はしっかりと捕らえられていたのである。
映画に隠されたサブリミナル効果。
今彼女は、たまらなくファンタが飲みたくなっていた。
「ファンタ!ファンタ!」
(目蛾値ちゃん)

そしてようやく見つけた自動販売機で買ったファンタはフルーツパンチだった・・・ (アナゴ)

しかも何故かホットだった。 (佐山)

飲んでみると青汁だった。 (佐山妻)

そう云えば父親が、幼い頃に聞かせて呉れたものだ。

「青汁を暖めて飲むヤツは、リリパットに射られて死んじまうぞ」

正に今、私はその暴挙を犯す事に為ったのだ。自らの過失では無いにも関わらず、である。
視界には既に、数百のリリパットが、矢を番える光景が見える。 (キング舞田)

リリパットの短躯から放たれ、ゆるやかな放物線を描きながら自分に向かってくる矢を見つめながら、今日子は先日見た「ヒーロー」を思い出していた。
「あ。デジャヴ……」
そう感じた刹那、眉間に突き刺さった鏃が意識を飛ばし、再び気が付いたときには、万景峰号の3等客室だった。
(星影龍三郎)

第四章「船上の再会」

若い男性達の話し声で目が覚めた。
硬い枕に薄い毛布。
分かる。ここは船の中だ。
胃の中がかき回される。気持ち悪い。
眉間の傷は…無い?いや、カサブタになって塞がっているだけのようだ。今日子は助かった事に安堵感を感じるよりも、痛みすら残っていない事実と、現在の自分の状況に対して当惑していた。
口の中にまで押し寄せてくる胃液に、つい顔が歪む。
意識が覚醒してきた。
今日子は吐き気を堪えながら靴を探したが見当たらない。
しかしゲタ箱の中にも無いようだ。
仕方なく備品のスリッパを履いて、客室を出た。 (ノビ)

そう、このスリッパがとんでもない惨事を巻き起こすとも知らずに・・・。 (佐山)

スリッパを引き摺る私の足は、相変わらずズルッペタン、ズルッペタンと間抜けな音を立てている。
途中出くわした船員達とは、吐き気を抑えつつも覚えたてのハングルで挨拶を交わす。
・・・善かった。スリッパの音の違いには、彼らは気が付かないようだ。 (キング舞田)

・・・突然、凄まじい衝撃が船体を襲った!
今日子は壁に叩きつけられた。一体なにが起こったのか。
船員たちは青ざめ、口々に「プルガサリ!」と言っている。 (佐山)

叩きつけられた壁の冷たい感触が、右肩の皮膚を通して伝わってくる。
船員たちが今日子を見ていた。
「プルガサリ」なのか「プルサガリ」なのかは未だもって聞き分けられなかった。絶え間なく襲ってくる不快に、これまでの記憶が重なる。堅い枕。背中を刺激した目の粗い布。優れない気分とは裏腹に、空気中の微量の水分や、わずかな大気の流れまでもが手に取るようにわかる。今日子は全身が鋭敏になったように感じていた。
船員たちが今日子を見ている。
そして、肌寒さに襟をかき合わせようとしたとき、先ほどどれだけ探しても見つからなかったのは靴だけではなかったことを理解した。そう。現在、今日子はスリッパ以外なにも身につけていなかった。
総毛立った。
船員たちに今日子は見られている。
(星影龍三郎)

今日子の全身は羞恥のあまりぱっと桃色に染まった。
船員たちがじりじりと近づいて来る。
「おい」
今日子の肩に手が掛かった。振り返ると誰もいない。
「?」
肩には手の代わりに花柄のイルカの手?のようなもの・・・
今日子は眼だけ動かして手?の元を探った。
それは体を這うようにして下に延び、かかとへと・・・
「!」
スリッパが話し掛けている!
パニックに陥り叫び出した今日子を汗ばんだイルカの手が塞ぐ!
「ちょっと待てって!俺だよ俺!」
 突然の爆発!
 呆然とする彼女の足下に現れたのは・・・
「…建二!」
「再会の挨拶はいいからサ、まず俺の上からどいてくれよ。」
「ご、ごめんなさい。」
「きゃんきゃん!」
「左のスリッパはチーズだったのね!」
 左のスリッパだけ毛が生えた冬用なことは気付いていたが、北朝鮮の習慣なのかと思いこんでしまったのだ。
 今日子の心は急に現れた力強い味方、愛人建二とその愛犬チーズを前にして久しぶりに弾んだ。
「見守っててくれたんだね。」
 今日子は、建二のことを家庭崩壊の原因として憎みながらも、肉体の魅力にけして抗うことが出来なかった理由を今初めてわかった気がした。
「このときのためだったんだわ…」(目蛾値ちゃん)

と喜んだのも束の間、ふいに今日子の身体は宙に浮き、剥き出しの背中が甲板に叩き付けられた次の瞬間、建二の手から向けられた銃口が彼女の眼前に迫っていた。
「見守るだって?俺があんたを?…ハハハッこりゃとんだお姫さまだ!」
今日子の全身が再び総毛立った。この男気付いている!二年前、義姉の額から宝玉を毟り取ったのが自分であることを!
今、今日子の頭上では建二が銃を突き付け、足元には狂犬が久し振りの獲物に狂喜し涎を撒き散らしている。もはやこれまで、と誰もが思った。しかし、建二は自分がコルトだと思って握りしめているものが実はチクワであることにまだ気付いていない、勝機はある!今日子のあらわになった胸の奥でルビーがチカリと光った。
佐山(妻)

第五章「樹海漂流記」

その時、突然チクワが黄金色に輝きだした!
「こ、これは?!」 (佐山)

建二の手中で黄金色に輝きだしたチクワに共鳴するかのように、万景峰号から2万3200キロ離れた風魔の里では小次郎の風林火山が震えだし、じょじょにチクワへとその姿を変化させていることに気づいた者は、誰一人としていなかった。 (星影龍三郎)

しかし、万景望号の一等客室で眠りにつくこの男だけは、無意識下で風魔の里の異変を感じ取っていた。
「…チ、チ、チク…ワ…」
うわ言を繰り返す男の両手にもまた、黄金色に輝くチクワが一本ずつ握られていた。
正敏である。 (ノビ)

今、時空を超えて、鍵を握るもの達がここに終結しつつあった。 (目蛾値ちゃん)

「そ、そのチクワこそ究極のメニ…」
何と船員だと思っていたのは、あの文化部の記者夫婦ではないか!
二人は何かを言いかけたが、船は再び凄まじい衝撃を受け、轟音と共に大量の水が、それを押し流した。大怪獣プルガサリである。
そして、その巨大な手が握っているのも、あの黄金のチクワではないか。 (佐山)

そのとき彼女のルビィが光を放ち、今日子は巨大化した。
大怪獣プルガサリに立ち向かう今日子だったが、もちろん着衣は無い。 (星影龍三郎)

「死ねェェェェェ」
今日子とプルガサリのカポエラ対決で起こった大津波は、万景峰号を巻き込み天高く舞い上がった。甲板から身を乗り出した船員達が口々に叫ぶ。
「キオツビータ、ケレオネターモ!(あ、今の高さいい)」
「ダイイヤ、クロケッサモ!(イイね。結構リアル)」
一層高くなった波は渦を巻きながら、龍の如く雲を突き抜け、その頂きに乗せられた船を遙か遠くへ放り出した。

万景峰号は今、風林火山の裾野に拡がる樹海の奥深くに無惨な姿を晒して居た。船員達は助けを求めるため付近を探検に出かけたが、大半が樹海の獣「森林鮫」(兎の一種)に喰い殺されてしまった。 その被害者はざっと6,7万人を数えた。
生存者は現在5,6人のみ。
そのうちの一人、レディと呼ばれる女が言った。(目蛾値ちゃん)

「私、女優になりたいんです!」
(ピカッ!ゴロゴロゴロ…)(佐山)

彼女の突然の告白に面食らった様子の皆だったが、やがて口々に自らの夢を語り出した。
「俺、本当は帝都新聞に入りたかったんだっ!」
「え?あなたも!?」
「今日子ともう一度やり直したい!!」
森林鮫の徘徊する樹海の中では、叶わぬ夢が空しく響くだけだが、正常な精神を保つために叫ばずにはいられなかった。
(ノビ)

この様子を見守っていた年嵩の男が、おもむろに口を開いた。
「みんな聞いてくれ」
けっして大きな声ではなかったが皆が注目した。
男には幾多の修羅場を潜った者のみが有する迫力と威厳があった。
「こうなってしまったからには、ここで生きて行くしかない。その為には何が必要か?結束だ。俺達は家族になるんだ!」
(ざわざわ…)
「家族には隠し事があってはならん。だから、ここに来るまでのいきさつを一人ずつ話すんだ」
一同は最初困惑していたが、一人の男が意を決して出てきた。
「じゃあ、オラから話すズラ」
(佐山)

第六章「転生する魂」

両手にしっかりとちくわを握りしめ、正敏が語りだした。
「まずオラとあいつらとの関係を、みなに説明せねばなんね」
「何だテメェ!皆さんの同情買って俺を追い出そうってんなら…」
「だまりな」
立ち上がる建二を素早くレディが制する。
正敏の眼は静かだった。
「家族になるために、必要なことなんズラ。」

「オラが今日子と出会ったのは、高校二年生の文化祭のときだった。」 (目蛾値ちゃん)

「……というわけさ。まぁ、聞いてもあまりおもしろくはなかっただろうけどな」

正敏から始まった告白は、レディ、田中、リヒャルト、建二と続いた。そして5人分の、それぞれの人生が紡がれた最後に、自分のこれまでの生涯を語り終えた私はといえば、慚愧に堪えず下を向いたまま動けなかった。独唱のように吐き出された言葉が空間を満たしていく。5人分の人生と、自分の生涯の重みで凝固したような大気に押し潰されそうになりながら、私は土の臭いをかいでいた。呼吸は相変わらず短く荒く、体温も高い。所在なく地面をすこし掘ってみたところで、ふいに上から頭をなでられた。

何かを伝えようと必死だったが、周囲には何一つ伝わらなかった。ひとしきり吼えたてたあと、チーズは満足したように下を向くと、鼻を鳴らしながら土の臭いをかぎ、所在なげに地面を掘り始めている。
リヒャルトと名乗った年嵩の男は、その小さな頭をなでてやり、おもむろにチクワを与えると宣言した。

「では、これより儀式を始める」 (星影龍三郎)

「儀式には生け贄が必要だ」

皆が一斉にチーズに目を向けた。哀れな狂犬はその刺すような視線に気付くことなく一心不乱にチクワに齧り付いている。
「待て、」リヒャルトがそれを制した。
「さっきも言ったであろう、我々は既に家族だ、それは畜生とて同じこと、ここは一つ公正に・・・」(佐山妻)

「いや・・・、俺がなるよ、生贄。俺達家族だろ?この中の誰が死んでも嫌だもん。俺、ヤツラ(森林鮫)に足を喰われちまってからさ、考えてたんだ…、もう生きててもしょうがねえなって。足手まといだしさ。皆の血肉になるなら本望さ。へへ…。」
「田中…。」
( ノビ)

「あと食糧は3日分ぐらいしかない。これを踏まえると、この際、奴のほうが重要だ。」
そういうと田中はレディの銃を奪い、あっと思うまもなく自分の腹を撃ち抜いた。
「へへ、早く引導を渡してくれよ…」
空には満天の星空。天に聳え立つ大きなシンボル風林火山のもと、心細げに肩寄せ合う小さな家族。皆涙を拭い立ち上がった。
「我々自身の心を真に彼に捧げるのだ。そうすれば必ず道は開く。」
詠唱が始まった。その声は次第に高まり、朗々と樹海の暗い空へと拡がってゆき、風魔の里まで届いた。集中力が高まるにつれ、彼らの握っている小さなシンボルは輝きを増してゆく。
その黄金色の光は、彼らを暖かく包み込み、母親の胎内をたゆたうような満ち足りた気持に誘った。
最初に異変が顕われたのは建二だった。
彼の体がみるみるうちに若返ってゆく。
第一段階が始まったのだ。 (目蛾値ちゃん)

建二はみるみる若返り、胎児に、そして小さな光の粒になり、レディの胎内に吸い込まれていった。そして正敏、リヒャルトも。
「…私の、私の名前は…工藤静香!」
レディは全てを思い出した。
想像妊娠の第三子は、「原罪なき子」チクワ太子としてこの世に生まれ、チクワ一千年王国を築くはずだった。
しかし、今日子によってルビーを盗まれた為、静香は記憶を失い、さすらいのハントレス、レディとして生きてきたのである。
太子の魂は飛散し、時空を超え、4人の人間に転生していた。
正敏、建二、リヒャルト、田中である。
互いの人生を語り明かした時、四人が黄金のチクワを握ったまま生まれてきたことが明らかになり、運命の糸は再び一つとなった。
(佐山)

第七章「六つのカツラ」

翌十月八日は曇天で明けた。
渇きを覚えた静香は、大破した万景峰号の船室に向かった。毎朝きまって旦那が注いでくれていたオロナミンCを飲みたかったが、この状況では贅沢も言っていられまい。幸い原形を留めた50ガロンのドラム缶(1ガロン≒4.54リットル)を見つけた静香は、ふたをこじ開けると、密輸されようとしていた18年もののピュアモルトウイスキー山崎が満たされていることに小躍りし、一息に飲み干した。
「なにもたさない。なにもひかない……」
思わずつぶやいた自分の声の大きさに驚き、我に返ると、寂しさを紛らわすためにラジオのスイッチをひねった。
樹海の磁鉄鉱のせいでノイズが混じるラジオは、ライバルだったブスタマンテ副知事に大差をつけてアーノルド(共和党)が加羞恥事に当選したことを伝えている。静香は、十年前に発売した20枚目のシングル「あなたしかいないでしょ」を口ずさみながら、対アーノルド戦は千年王国樹立のために避けては通れないことを悟った。
ふと見ると、森林鮫に囓りつかれたチーズの腹部からは、痙攣したどす黒い十二指腸が嬉しそうにはみ出し、したたり落ちる脳漿は熔岩質の岩肌には吸い込まれず、そのまま溜まりを作っていた。それは幼いころにモザンビークで見た朝日のように橙色で、想い出を肴に、静香はもう一缶飲み干した。(星影龍三郎)

前日・・・。
鳥取県、羽合町の海岸に巨大な怪獣が姿を現わしていた。
その右肩には全裸の人間の女の姿。そして手にはチクワ。
太子の証のチクワ・・・。しかし、そのチクワはどす黒く変色していた。

空けられたドラム缶の横で静香は目を覚ました。しばらく寝てしまっていたらしい。
「さすがに250ガロンは飲み過ぎたわね…」
辺りはもう暗い。今は森林鮫の時間だ。しかし…
いつもなら聞こえる森林鮫の吠え声が聞こえない。

万景峰号の外では森林鮫の死体を引きずる人影があった。(ノビ)

静香は異変に気づき、素早く物陰に身を潜めた。
朝靄の中から姿を現したのは、何と静香自身であった。
違いといえば忍装束を纏っている点のみ。(目蛾値ちゃん)

それは250ガロンの琥珀が見せた夢だったのか?いや、現実だ。
もっと近くで見ようとした時、足がぬかるみに取られた。
「キャ!」
ぬかるみはグズグズに溶けたチーズの屍骸だった。
「そこにいるのは誰?!」
見つかってしまった。どうしよう?
(佐山)

ゆっくりと近づいてくる漆黒の忍装束は、樹海の闇そのものだった。
クローン・・・・・・。
意味のありそうな横文字をつぶやいてみる。
人体実験だろうか。自分のまったく知らないところで、何かが行われていることの恐怖は、アルコールで濁っていた脳内の澱を鎮め、静香はとっさに身をかがめた草むらでチクワを握りしめると、相手との距離を測り、歩幅に目を凝らした。
あと二十歩。
それにしても・・・。具体的な認識となって現れているわけではないが、何かがおかしい。これから自分の分身かもしれない相手と対峙するというのに、いったん疑念にとりつかれた頭は、現実から逃避するように止まったままだ。よけいなことを考えている場合ではないことはわかっていた。静香は手の中のチクワに目をやった。こんなもので勝てるのか? 残りは十二歩半。
リヒャルトのチクワはチーズに与えられ、食物連鎖の言葉通り、森林鮫の胃袋に収まった。あのときは、代わりに、私のチクワをリヒャルトに渡したはず。距離は八歩。
私の胎内に戻るとき、それぞれのチクワは、その役目を終えたはずだ。くそっ。相手から目をそらすな! 自分を叱り飛ばす。あと四歩。
だったらこのチクワは……。草むらまで二歩。
一歩!
そのとき、闇の中から森林鮫が、まるで誰かに投げ飛ばされたように、草むらの前に転がり出てきた。
「ちっ。ウサギか」
忍装束はきびすを返すと、墨を流したような夜の中に消えていった。
助けられた……。森林鮫が飛びだしてきた方向を振り向いた静香の目に映ったのは、満足そうな微笑をたたえたまま息絶えた田中だった。 (星影龍三郎)

これは田中のチクワだった。
チクワ太子の魂は四人の人間に転生していた。
田中が死んだことにより、今、静香の胎内にある太子の魂は、不完全なものとなっている。素直にチーズを生贄にしていればよかったのだ。リヒャルトの公平さが招いた失敗だった。記憶を失っていた自分も、それを止める事が出来なかったのだが…。
しかし、田中の肉体自体は重要ではない。
現に、田中は私を救ってくれたではないか。
静香は意を決してチクワを口に運んだ。 (ノビ)

転生は完全ではない。
静香は唇を噛んだ。
「今は振り返ってる場合では無いのだわ…他の方法を考えなくては」
まずは失われたルビーを取り戻し、首都壊滅を阻止すること。静香の彷徨の間に力を付け、加羞恥事にまで昇りつめてしまったアーノルドを引きずり下ろすこと。そして夫の誤解を解き、ちくわ太子を誕生させなくてはならない。
「小倉久寛は本当に6つのかつらを使いわけているのかしら…」
しかし田中の死が、後に静香を絶望させることとなる。
(目蛾値ちゃん)

第八章「東京埋蔵金」

同じ頃、大怪獣ブルガサリの頭上で今日子は復讐の炎に燃えていた。
・・・憎い、東京が憎い。
夫との出合い、そして別れ…建二との皮肉な運命…スキャンダル…裏切り…その全てが都会の淫らな魔力に侵されているような気がした。自分を誘い、また貶めた東京のネオン、その下で幸せそうに人生を謳歌する都会のウジ虫共…なにもかも私がぶち壊してやる、この手で握りつぶしてやるのだ!今日子の底なき憎悪は大怪獣の意識に流れ込み、その愚鈍な脳を支配した。
「ニクイ・・・トウキョ、コワス!」
二者は完全に同調しつつあった。
「いざ!東京へ」
鳥取から目的地を見失い、辿り着いた静岡県由比ヶ浜の漁村に今日子の雄叫びが響き渡る。
「小倉久寛は本当に6つのかつらを使いわけているのかしら・・・」
ふと芽生えた素朴な疑問に意識をそらされたその時、ブルガサリの手の中で再びチクワが輝きだした!それはすべてを闇に葬り去る禍々しい光であった。
「静香が目覚めた!・・・邪魔をさせてなるものか!」
怒りに我を忘れ夜空に咆哮を繰り返す今日子は未だ全裸であった。 (佐山妻)

「これは・・・、あの子・・・。」
胎内で何かが疼いた。
静香は樹海を彷徨い歩いていた。
今日子の目的を一刻も早く阻止しなくてはならない。森林鮫ともう一人の自分に恐怖しつつも、使命感が彼女を行動させていた。
早く会わなくては・・・、今は今日子と行動を共にしているであろう、もう一人の息子に。 (ノビ)

そのころ、静香の夫、拓也は、子供を寝かし付けながら、失踪した妻を思い枕を濡らしていた。
こんな時、ベストジーニストの肩書きは何の役にも立たない。
『静香…』
その時、慌ただしい足音と共に、木村邸に見なれた闖入者が訪れた。
「イトイさん!?」
それは、バサー(バスフィッシングをする人)仲間の糸井重里だった。
「いったい、どうしたんスか?」
「木村君!樹海に、樹海に徳川埋蔵金があったんだよ!」
震える糸井の手には古ぼけた地図、食べかけのチクワ、そして、

あり得ぬはずの第七のカツラがあった。 (佐山)

「おーい、連れてきたよ」
「糸井さん、木村さん、待ってましたよ!」
樹海の入り口では、多数の重機を従えたバサー仲間の面々が二人を待っていた。
ちなみに、仕事は糸井が事務所に掛け合って、勝手にキャンセルしたらしい。
「よし!今日からここで寝泊りだ。お宝まで突貫するぞ!」
糸井の指導の下、埋蔵金を探す為の伐採作業が開始された。

その遥か先…、糸井が目指す地には、大地に突き刺さった万景峰号の姿があった。
(ノビ)

それから数日・・・只管掘り進んで来た。
だが余りの手応えの無さにイトイは、「こんなことなら『ほぼいち』を更新してた方がましだ」と思い始めていた。
一歩掘り進む毎に、それは意味を失う。何の為に掘っているのか、掘る為に掘っているのではないか?
そんな疑問が頭を巡りだした頃、バサー仲間の弓削が声を上げた。 (キング舞田)

「まただ! またきたよイトイさん!!」
Hitを告げる弓削の声を聞いたイトイは、樹海の奥に走り姿を消した。
拓也はここ数日、心美(ココミ)と光希(ミツキ)にえさを与えていないことを思い出しながら、耳半分でイトイたちの会話を聞いていた。

「ほら、イトイさん。見て下さいよ」
「だね。これでいくつ目だ?」
「今日だけで3つです」
「トータル18か……」
「このままじゃ、いくつあがるかわかりませんよ」

こんなときにバス釣りとは、いったい何をしにここまで来ているというのか。拓也はイトイたちの長閑な話題に苛立ちながら、声のする方へ向かった。
思い返しても、自分がここにいる理由が見あたらない。なぜ自分は森の中で、人知れずスコップを振るう北欧からきた人夫たちのとなりで、ダウジングロッドを握っていなければならないのか。奇怪にせり出した木の根に足を捕られながら歩を進める拓也には、額の裏側に張り付いて離れない一徳の薄ら嗤いが、彼の忠告に従わずこんなところまで来てしまい、今まさにその後悔を、連れてきた張本人であるイトイにぶつけようとしている自分を諫めているよう思えてならなかった。
「イトイさん! あんたこんなときに何やってるんだっ」
剣呑ともとれる拓也の声に振り返ったイトイの手には、弓削の言葉を借りれば、今日だけで3つも仕掛けにかかったというカツラが握られていた。
「イ、イトイさん。それはいったい……」
「ミッシングリンクだ」 (星影龍三郎)

樹海の中では磁石や電磁波が乱れるので有名だが、
それもこれも、大量のカツラが原因だったとは…。
『小倉久寛のカツラは六つが定説。これが発表されたら…』

拓也の心を見透かしたようにイトイが頷く。
「恐らく樹海の自殺者の大半は、たまたま入り込んだ樹海でこの事実を知り、その重みに耐えかね、発狂して死を選んだのだろう…しかし、俺にとっては、このカツラこそが埋蔵金への道標よ」
そう言って、低く笑うイトイの目にも狂気の光が宿っているのを、拓也は感じていた。
『!?』
突然、拓也のダウジング・ロッドが震え出した!
(佐山)

すかさず弓削が、北欧から来た人夫たちのもとへ走った。
拓也は、三次元の座標軸では表すことのできない地点を指し示す、細い銀線を握りしめていた。これは樹海の磁場が影響しているせいだろうか。先ほどロケ弁を食べるとき、箸代わりに使ったことがばれないよう、ロッドの先をヴィンテージのリーバイスでそっと拭うと、一心不乱にカツラを弄くりまわしているイトイを呼んだ。
「イトイさん、これ……」
だがしかし、拓也の声に振り返ったイトイの目は濡れ、真っ赤に充血していた。
「あ”オがぬ”う゛あ”ぁぁァァァア!!!」
すでに人のそれとは思えない叫びをあげると、イトイは拓也に向かって突進してきた。狂奔を本能で避けると、すれ違いざま雪藤のスポークよろしく、ダウジング・ロッドをイトイの延髄に突き刺す。あまりに自然でなめらかな自分の動きに疑問を感じた刹那、イトイの首から血に塗れたネコほどの獣が、皮膚を喰い破って飛び出してきた。
拓也は、先日、心美(ココミ)と一緒に見たどうぶつ奇想天外を思い出した。これはたしか、森林鮫……。
血を吸った体毛を振るわせる獣の頭を、弟からぶんどったアイリッシュ・セッターで踏みつぶすと、先ほどの黒い天使のような自分の動きに対する疑問だけが残った。木々の間から見える空は暗く、拓也一人を包むには充分すぎるほどの深さだった。
幾星霜を経たのか想像もつかない奇岩に腰掛けると、弓削を待った。
(星影龍三郎)

第九章「死の舞踏」

「ん…ああ弓削さん?」
随分待った。その間につい寝てしまったらしい。
近づく足音に目を覚まし、振り返る。
弓削ではない。
それどころか、
「静香!?」
拓也の後ろに立っていたのは失踪したはずの妻、静香だった。
しかしこの奇妙な忍装束は…。 (ノビ)

静香らしき女が、イトイの死骸、そして血塗られたスポーク、もとい、ダウジング・ロッドに目を落とす。
「覚醒したようね」

その瞬間、拓也は全てを了承した。
静香の謎の失踪、そして、コスプレ紛いの忍装束、謎めいた言動…。
これらは、倦怠期を乗り切る為のイメージプレイに違い無い。

「ああ、全て思い出したよ」
拓也はニヤリと笑った。さすが(自称)演技派俳優である。(佐山)

「静香!」
拓也は静香に駆け寄り、力一杯抱きしめた。
「拓也…やっと会えたね」
「もう父子家庭はやだよー!静香あーしずかああ」
膝に縋って泣いている拓也をそっと立たせると、静香は拓也の腰に手を回して唇に軽くキスをした。
「釣りのときは汚れるからスエードじゃなく黒セッターにしてっていってたのに。あいかわらずヤンチャなんだから。」
「静香…愛してる。」
その言葉を聞いた静香の顔が、一瞬醜く歪んだと思うと、拓也の体は上に持ち上げられた。
「静香?」
静香は拓也を抱き上げたまま、近くの大岩まで運んでいった。そして岩の上に座らせると言った。
「そこからみていてね」
静香は見下ろす拓也の前で、纏っていた忍装束をゆっくり脱ぎ始めた。拓也は静香の奇妙な行動に疑問を感じながらも、踊るようなその動きに魅せられ、黙ったまま見つめ続けた。
(何か着てる…?)
森の中から浮き出してきた染みのような黒い装束を脱ぐと、その下からは真っ白なメイド服…。
「お前…カオリン!」
「思いだしてもらえたかしら?」
女は拓也の妻静香ではなく、元カノ、カオリンだった。拓也は長い間メイドであるカオリンと関係を持っていたが、伯爵家の長男である彼に身分違いの結婚は許されなかった。後にそっくりな現在の妻静香と出会い、激しい恋に落ち結婚したのである。カオリンは拓也の結婚のち人知れず姿を消した。…はずだった。
「何故…ここに?」
「拓也、貴方は色々忘れていることがあるのよ。」
彼女は微笑むと突然歌い出した。
「アンパンマンはきみーだー…」
その歌声を聞くと、拓也の頭が猛烈に痛みだした。
カオリンが飛びかかってきた。
(目蛾値ちゃん)

女の声とは思えない咆哮を上げるカオリンは、後ろに引いていた右肩を捻るように拳を突き出す。正中線を狙った正確な一撃を入り身でかわした拓也は、伸びきって勢いを失う直前の手首を左手で掴むと、右の掌底をカオリンの顎に打ち込んだ。息を止めたまま左足を軸に右足を前に出し、入り身転換の運足。カオリンは宙に舞った。 (瀧元駱駝)

カオリンを地面に叩き付けると同時にアイリッシュ・セッターを顔面にたたきこめば、拓也の勝利は確実だった。
が、かつての同棲時代の思い出、二人の子供の顔、そして『君色想い』の中居のカンにさわる声などが、一瞬、拓也の脳裏を掠め、判断を遅らせた。
「!」
カオリンは猫科の動物を思わせるしなやかさで着地すると、拓也の手を解き、あっという間に森の奥に消えた。

『…何故、カオリンが?そして、あの歌は…?』
そこまで考えた時、再び強烈な頭痛により拓也は昏倒した。

その頃、静香は陣痛の第一波と戦っていた。
(佐山)

第十章「X-Fujiyama」

なんとか樹海を抜けて国道まで下りることが出来た静香は、人気の無い道路脇で一人悶えていた。
「もう陣痛が始まるなんて…!」
このままではチクワ太子が不完全なまま誕生してしまう。
静香は急激に膨れた腹部を抱え、ふらつく足取りで道を歩き出した。
『東京まで244km』
東京までの道のりは遠い。このまま歩いていけるとは思っていないが…。

突如鳴らされたクラクションに静香は身を振るわせた。
「おーい、どうした!?」
何者かが車を止めてこちらに呼びかけている。ライトの逆光でその人物の顔は見えない。 (ノビ)

助かった。彼女はさざなみのように打ち寄せる痛みに耐えながら、震える足を強い光の方へ踏み出しかけた。しかし同時に、彼女の奥でふと疑念が首をもたげた。私は人類の未来千年を孕んでいるのだ。この声の主を信じていいのだろうか。チクワ太子を不完全な状態で宿してしまった事実を考えれば、運命は決して定まったものとは言えない。チクワ太子が生まれない未来も在り得るのだ。
目を細めて光の方を伺う内に、かつて拓也の前に付き合っていた男の寝物語を思い出した。奴隷となっていたユダヤ人をエジプトの支配から解放した男の話。モーセはシナイ山で燃え盛る柴の中から声を聞いた。その炎は聖なる光を発し、彼の目を眩ませたことだろう。炎の中から声は命じた。エジプトの奴隷となっているユダヤ人達を導いて、エジプトの支配を逃れよと。モーセはその重責に戸惑った。自分のようなものに何ができるでしょう。
静香には今、モーセの気持ちが分った。こんな私に何ができるのか。目の前の車に助けを求めていいのかどうかも分らない、こんな私に…。
ヘッドライトの向こうから、再び声がした。「予感がして君を探しに来たんだ。静香」
陣痛の波はおさまりつつあった。「誰?私を知っているの?」
彼は答えた「分らないか?世界一のツーバスを打つ男。無敵と書いてエクスタシーと読む男だ。」
静香は歓声を上げた。「YOSHIKI!」
(瀧元駱駝)

あぁ。YOSHIKI……。
静香は、かつて自分の皮膚の上を這った音楽家独特の繊細な指の感触を思い出し、溢れ出る恍惚をひとしきり頭の中で玩んだあと、陣痛とともに飲み下した。
自己顕示欲が人一倍強い芸能人にとって、マスコミから見向きもされなくなることは、人間性まで否定されているように感じることがある。そんな中で降って湧いたチクワ懐妊の話題は、それがたとえどこの馬の骨の子供なのかわからない想像妊娠であったとしても、静香にとっては骨の髄までしゃぶりたいほど魅力のあるものだった。そうした他の職種にはない、芸能人特有の渇望はYOSHIKIとて同じだったらしい。TETSUYA、KEIKOらのグループにYOSHIKIが加入したのは、静香に自説の正しさを納得させるに充分だった。
「静香……」
ドアが開き、長身が路上に降り立った。相変わらず痩せている。ちゃんと食事を摂っているのだろうか。あのころと同じ長髪を風になびかせ、こちらを見つめていた。逆光になったライトのせいで表情までは読み取れないが、どうやらいつものようにサングラスをかけているらしいことだけは、シルエットからわかった。
整って女性的な瞳を恥じるように、あのころもサングラスは手放さなかったっけ。
「新曲が、できたんだ。聴いてくれるかい?」
静香の体調は、まったくもってそんなのんきな状態ではなかったが、ギターを手にした影絵の男との想い出は、弦をつま弾く指先をもう一度見たいと促した。
「ほら、お前らも出てこいよ」
そう車中に声をかけると、後部座席から一人、二人と人影が現れた。それぞれがギターらしきものを手にしている。一人はベースか。まぁくがたしかベースを習っていると言っていたっけ。静香は、一昔前のワイドショーを思い出しながら、おそらくは助手席に座っているであろうKEIKOを待った。
が、いつまでたってもその様子はなく、おもむろに曲が始まった。
車のハイビームに照らされて、左端のシルエットが甲高い声をあげる。
なに!? なんなの?
軽いパニックに陥った静香は、バセドー氏病のように目をむくと、路傍の石を投げつけライトを割った。
暗闇に目が慣れるまでの数秒、左端にいたはずの人物が自分の後ろに回ったことには気がつかなかった。
薄ぼんやりと網膜に映った長髪の顔は……。
「TA……、TAKAMIZAWA!」
そのとき、背後から桜井がベースを振り下ろした。
(星影龍三郎)

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